History


第8章
当時3大ロック・ギタリストといえば、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックの3人でした。
その3人の共通していたのは、美術学校でした。
そこで自分は、ニューヨークで美術学校に通いながら音楽をやろうと思ったのです。

しかし直ぐにI-20の学生ビザを出してくれる学校がありません。
数校回ったか覚えていませんが、美術学校の担当の人がニーナと言う名前だったのを覚えています。

ニューヨークに着いてからチェンバースのマスザワさんの所に少しの間お世話になってのちに、セントラルパークの近くのホテルアパートに少しいました。
ホテルアパートは、スペンサーアームズと言う名前だったと思う。
ドラムの友人M夫婦と3人暮らしは、少し変でした・・・
ある晩その友人Mがマラソンに行こうと言うのです。
なぜマラソンになったかは。もう忘れてしまいましたが、昔から長距離は、得意だったので負ける訳ありません。
今考えると、夜中のセントラルパーク周辺のマラソンは、超危なかったと思う。
案の定、自分は、決めたコースを回って帰って来たのですが、友人Mは、戻って来ません
肝試しを兼ねて彼は、言い出したと思うけど大分時間が経過してから、帰って来ました。
そのホテルアパートは、夜中になるとバスルームにチャバネゴキブリが壁にびっしり居て、空気孔に向かってゆっくり歩いているのです。

ホテルアパートの後はまた、チェンバースのロフトに戻ったのですが、運良く下の下のフロアーのブツハラさん(日本人)がフロリダに行くから部屋を貸し手くれる事になってそのロフトにいました。
ヴィレッジボイスのメンバー募集を出して、その時は、20人位のボーカリストとペーシストが来てくれました。
その時は、外人でもリズムが悪くで歌が下手な人もいるので意外でした。
ブルースのヒゲあんちゃんとかもいたけど、当時は、パンクブームで夜はみんな革ジャンが定番でした。

サウンドは、ドラムの友人Mとパンクとハードロックの中間で行こうと前から決めていました。
その時にあったのが、ボーカルのジムとベースのデイブでした。
ジムは、ミック・ジャガーみたいな感じで、ベースのデイブは、好青年かな・・・
当時ドラムの友人Mがバンド名は、アルカトラスと決めていたので・・・・
イングウェイのいたアルカトラスはのちに知ったのですが、こちらの方がはるか昔の話です。
この後ジムとは、2~3日で9曲作った記憶があります。
しかし実際に演奏したのは、4曲位だったと思う。
説明が遅れましたが、借りられたロフトは、多少の音を出しても大丈夫なところでしたが、さすがに音量が上がって来てしまうと上のフロアーからの苦情が・・・。

ロフトでお世話になった、日本人の方は、みなさん特殊な名前だったので覚えています。
ドラムの友人Mの知り合いのマスザワさん、サイさん、ブツハラさん。
たいへんお世話になりましたマスザワさんは、この後、日本とニューヨークでお会いしています。
音楽関係の話があんまりありませんでしたが、つづく

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